黒塗りだらけのスクリプト
電話が好きな奴など存在するのか。そう言いたくなる程度に私は電話を苦手としているのだが、我が祖父が大の電話好きなので困っている。
それはそれとして。電話という装置で会話をするのは骨が折れる。相手の顔や仕草が見えれば、自分の言動が合っているのか間違っているのかがある程度は図れるので、なんとかできる。だが、音声だけだとそうはいかない。容姿が見えれば、あまり感情を乗せないタイプのひとっぽいなあと予想を立てて、そっけない返事でもはいはいと対応できるが、音声だけでそっけなくされると、もしかして自分は何か間違えたのだろうかとすごく不安になる。
というより、電話装置とは関係なく、そもそも私は音声で会話をするのがすごく苦手だ。まず、自分の話を聞いてほしいという欲望がないので動機が薄い。話さざるを得ない状況(ホウレンソウなど)になれば話すが、慣れていないので綺麗な文章が出てこない。順序が親切でない。さらに簡単な単語が上手く出てこなくて、あの~あれですよ、あれ……となることがとても多い。だからますます話すという行為が嫌になる。
おそらく、私が社交に対する不安障害じみた不安を抱えていた名残で、前頭葉の検閲がとても強い状態になっているのも無関係ではない。だから、これを言おうか、いや止めておこうか、などの処理が非言語の状態で行われていて、それが負荷になってハンバーグという単語さえ上手く口から出てこないような状態になっているのだ。
しかし、皆は、やっぱりリアルで会ってこそだとか、作業通話やスペースは楽しいと語る。ならば私もそれを楽しんでみたい、と思ったりもするが、発話のみならず聞き取りも下手くそで意識を集中させないとすぐに何の話だったかわからなくなるし、うにゃうにゃとした良く分からない音の羅列としか聞こえないこともある。
そこでご紹介するのがこちら! 「フォーネー・ロゴス主義」!
これはジャック・デリダの主張のひとつで、とてもざっくり言うと、西洋って話し言葉に権威があって、書き言葉のことを軽視していますよね、という話だ。西洋文化を多分に取り入れた現代日本も例外ではないだろう。
書き言葉も十分偉いんだ、ツイートだってリプライだってコミュニケーションじゃないか、そう言ってもらえた気がして、すこし明るい気持ちになれた。
これからも話し言葉との接し方は模索していきたいが、それと同時に、書き言葉のことも大切にしていきたいな、と思う。
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